古い殻を脱ぎ捨て 眩い新航海時代へ 劇団朱雀は漕ぎ出します。
100人ほどの浴衣掛けの観客が、思い思いの食事を楽しむ中、カラカラと照明器具が廻りだし、灯りを入れるとベンガラ色と薄緑の縞の幕がスルスルと引かれ、剣劇や股旅物のお芝居が始まる。
観客は箸を休め舞台に眼をやり、剣劇、日舞、芝居を楽しみ「お花」と呼ばれるご祝儀を贔屓の役者に贈る。
フィナーレは座長による花魁姿の豪華な衣装に観客は喝采を送り観劇を楽しむ。
幕がおりるとホールの出口で座長たちや役者が舞台衣装のまま観客一人一人を見送る。
このような情景が現在の大衆演劇と呼ばれる原風景だ。
舞台裏を覗くと衣装、かつら、小道具などが雑然と置かれているように見える中、出番順による必要なものが整理されている。
大衆演劇界には、他の伝統芸能のような確立した特定の流派や一族の存在も無い、一座の多くは近親者で構成され一座の子供たちは3歳、4歳ころから初舞台をを踏み楽屋を我が家として育つのも大衆演劇界の習わしだ。
劇団朱雀―座長・葵陽之介は17歳で初めて見に行った大衆演劇に魅了され、その世界に身を投じたという。少年時代から惹かれていた女友達も後日、同じ劇団に入団し二人で稽古に精進した。やがて彼女は早乙女太一、友貴、あゆみの母親となり現在も舞台で艶やかに舞う。
2003年6月、岐阜県上八幡ホテルでの劇団朱雀立ち上げ公演終了後は、達成感と将来への不安が交錯する舞台だったと陽之介は回顧している。早乙女太一わずか11歳の初夏だった。
半年後には東京浅草・大勝館での公演がメディアの話題となり長男、早乙女太一は『100年に一人の女形』と紹介され、大衆演劇の次世代・ホープとしてスター階段を一気に駆け始めた。
2010年春、劇団朱雀は今までの殻から抜け出し新しい大衆演劇の新航海に旅立ちます。
劇団員すべてがシンクロし、早乙女太一もその船首に立ち舵を取る覚悟です。
どうぞこれからの『劇団朱雀』にご期待と、ご叱咤、ご支援のほどをお願いいたします。